家事はお母さんの仕事?家族で考える“わが家の困りごと”

洗濯物って、どうしてあんなに増えるんでしょうね。
朝干したはずなのに、夕方にはまた山。
靴下は片方だけ。
体操服は急に必要。
タオルはなぜか大量。
うん。
これはもう、お母さんひとりの問題にしておくには大きすぎる(笑)
先日、我が家でも「洗濯物多すぎ問題」が勃発しました。
天井まで届きそうな洗濯物の山を前にして、
「これは私ひとりで抱える話じゃないな」
と思ったんです。
だって洗濯物って、家族みんなが出しているものだから。
でも不思議なことに、
いつ洗うか。
誰の体操服がいるのか。
洗剤がなくなりそうか。
タオルが足りているか。
そんなことは、お母さんの頭の中にだけ入っていたりするんですよね。
家族のことなのに。
だから気づかないうちに、
「なんで私ばっかり」
になってしまう。
「手伝って」が小言になってしまう時
手伝ってほしい。
でも言うと小言になる。
「ちゃんと出して!」
「脱ぎっぱなしにしないで!」
「なんで言われるまでやらないの?」
気づけば注意ばかり。
本当は怒りたいわけじゃないんですよね。
ただ、しんどい。
ただ、助けてほしい。
ただ、一緒に考えてほしい。
そんな気持ちだったりするんです。
だから私は思うんです。
家族の困りごとは、
お母さんひとりの宿題にしなくてもいいんじゃないかなって。
家族の困りごとを、家族の議題にしてみる
そこで始めたのが家族会議でした。
と言っても、
立派な会議じゃありません(笑)
議事録もないし、
司会もいないし、
時々脱線もする。
我が家の「洗濯物多すぎ問題」の時も、
娘は、
「お兄ちゃんの靴下、ソファーの下で繁殖してる!」
息子は、
「だって部活毎日やし!」
夫は、
「ぼくは自分の分だけ・・・」
と小声(笑)
まあ、なかなかカオスです。
でもね。
ここで大事なのは、
誰が悪いかを決めることじゃない。
「この困りごと、どうしたらいいかな?」
を家族みんなで眺めることなんです。
家族会議は、
ケンカの時間でも、
説教の時間でもありません。
家族が少しだけチームになる時間。
そんな感じです。

体操服を洗ってしまった朝に起きたこと
以前、娘が小学生の頃のことです。
朝の登校前に突然、
「あ〜!体操服、洗濯してしまった〜!」
と焦り始めました。
慌てる娘を見たら、
つい言いたくなるじゃないですか。
「なんで前の日に準備してないの!」
って。
でもその時は、
「そっかそっか〜。間違って洗濯機に入れてしもたんやね」
とだけ伝えました。
すると娘は、
「もう一枚体操服あったかな?」
「お兄ちゃんのTシャツ借りられるかな?」
と、自分で考え始めたんです。
そして出かける前に聞いてみました。
「今度はどうなればいい?」
すると娘は、
「前日準備しなあかんな〜」
とポツリ。
私が答えを教えたわけじゃありません。
娘が自分で気づいたんです。

答えを渡すより、一緒に考える
これって家事も片づけも同じだと思うんです。
私たちは困ると、
つい答えを言いたくなります。
「片づけなさい」
「洗濯物出して」
「ちゃんとして」
でも、
答えを渡すことよりも、
考える余白を残すことが大事な時があります。
どうしたらいいと思う?
どうなったらうれしい?
その問いから、
子どもは案外いろんなことを考え始めます。
そして、
家族も案外いろんな知恵を持っています。
わが家の困りごとを、みんなで話してみる
家族会議というと、
ルールを決める場だと思われることがあります。
でも私は、
そうではないと思っています。
家族会議は、
困りごとを一緒に眺める場。
「誰のせい?」
ではなく、
「どうしたらいいかな?」
を話す場。
子どもも一人の家族として参加できる場。

そんな時間が少しずつ増えると、
家族の会話は特別なイベントではなく、
文化になっていくんです。
夏休み前。
もしよかったら、
わが家の困りごとをひとつだけ選んでみてください。
洗濯物でもいい。
宿題でもいい。
ゲームでもいい。
ごはんの準備でもいい。
そして、
「これ、みんなどう思う?」
と聞いてみてください。
きっと最初は思ったような答えは返ってこないかもしれません(笑)
でも、それで大丈夫。
大事なのは正解を出すことではなく、
家族で話すことだから。
家族会議という「対話の文化」
夏休み前に、家事や片づけ、家族の過ごし方を“お母さんひとりの問題”にしないために。
マザーズスマイルでは、家族で話し合える土台をつくる「家族会議のすすめ講座」を開催します。
聞いて終わりではなく、実際にわが家の困りごとを持ち寄りながら、家族で話し合える形にしていく講座です。
家族を変えるためではなく、
家族が少しチームになれる時間をつくるために。
そんなきっかけとして、必要な方に届けばうれしいです。


